朝貢貿易の始まり

琉球王国とは

東アジア貿易圏と琉球

朝貢貿易の始まり

14世紀後半、東アジアではモンゴルから明への覇権交代、
高麗王朝の内紛、日本の南北朝内乱などが起こり、
時代の大きな転換期を迎えていた。
1368年、モンゴルを倒して中国を統一した
明の太祖洪武帝(こうぶてい)は諸国に使者を送り、
明を中心とする世界秩序(冊封体制)
さくほう体制への参入を呼びかけた。
1372年、琉球にも洪武帝の使者・楊載(ようさい)が遣わされ、
これに応じた中山王察度(さつと)は弟の泰期(たいき)を入貢させた。
中山王察度(さつと)の入貢につづいて、山南王、北山王もまた
明に使者を送り、朝貢関係をスタートさせた。
三山と呼ばれる時代がこれである。
中国の史書「明史」によってアジア諸国の対明朝回数をみると、
琉球は前後171回ときわだって多く、安南89回、ジャワ37回、
朝鮮30回と続く。ちなみに日本は19回で、13番目にランクされる。
琉球王国の黎明期に君臨した英祖王統(1260年~1349年)、
ついで中国との朝貢貿易の扉を開いた中山王察度、武寧の一族は、
浦添グスクを拠点として活動した。
海外貿易から得られる富によって強大化した浦添は、
経済的にも政治的にも他の豪族を圧倒し、浦々地方を支配するという意味で、
「うらおそい」と呼ばれた。
隆起サンゴ礁の丘陵上に築かれた浦添城跡に立って周囲を見渡すと、
眼下には牧港と東シナ海がひろがり、東には太平洋、南に首里城、
北には北谷(ちやたん)・読谷などの中部地域、
さらに西南には那覇の市街が視界に入り、
まさに沖縄の中南部を一望できる要害の地であることが実感される。

浦添城付近から那覇・浦添・宜野湾市街地をドローンで空撮 DJI Phantom 3


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琉球王国とは



浦添城址
画像の説明



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